【国際協力】その支援本当に必要?僕が感じた巻き込まない重要性

~支援する覚悟、支援しない優しさ~

こんにちは。

今回も恒例のブログ運営者とのこんなやり取りからご紹介したいと思います(笑)

 

 

 

ということで、ブログ運営者の中で僕は発達障がいということになっています(笑)

 

でもいいですよね、ネガティブとポジティブは紙一重。

 

長所も短所も紙一重。

 

思ったことをそのまま言っちゃうんですから(笑)

 

脳の特性のおかげですね(笑)

 

さて、今回は僕がここ最近、いやここ数年?考えてることを書こうと思います。

 

そうです、タイトルにもあるように国際協力やボランティアなどの支援について。

 

僕は、今セネガルで学校建設をしていたり。

これまで東南アジアの孤児院や小学校で活動してきました。

その中でもすごく貴重な体験が出来たと感じるのは、ブータンの小学校の視察が出来たこと。

ブータンは当時、
バックパッカーなどで勝手に入国することが出来ずに
旅行会社を通してビザを取得しなければ入国出来ませんでした。

 

僕は貧乏バックパッカーだったので、特に費用の高いブータンは懸念していましたが、
【幸せの王国】と言われているブータンに興味津々だったので行くしかないと思い行くことに。

ツアーで決まっていたのに、
『教育に関心があります!ブータンの学校を見学させて下さい!』
とお願いし、無理やりツアーに組み込んでいただきました(笑)

 

ブータンでは必ずガイドとドライバーがつくというVIP対応(笑)

 

僕は1人で行き学校視察なんかしてるもんだから、
どこかのお偉いさんか、てか自分何してんだろとおかしくなったのを覚えています。

 

たまたま担当のガイドさんの知り合いが
小学校の校長先生ということで、
許可を頂き特別に視察させて頂きました。

 

ブータンでは、
ホテルと担当ガイドの家に泊まらせてもらったのですが、
家自体が見学スポットにもなっている為、
グループの日本人の方々とも遭遇し、
『えっ!1人で来たんですか?』、『えっ!ここに泊まるんですか?』
と驚かれ、虫さんたちと仲良く1人寂しく就寝しました(笑)

 

これまでの海外での活動を思い返すと、
本当にいろいろあったな~と思い出すのですが、
今回書こうと思ったのは、現地の支援慣れや、支援する側の責任について。

 

その支援本当に必要?支援する覚悟、支援しない優しさ

僕は、こういった活動に関心がありながら
実は寄付とかお金だけの支援ってほぼしたことがないんです。

 

それは自分の目で見ないと
支援したお金がどのように使われているのか分からないから。

 

圧倒的に自分が直接行く派で、これまで動いてきました。

そうすると現場ではこんなことが起きていました。

とある国の孤児院では、孤児院のトップが
『物なんていらない、現金をくれ』
と言っていたり(自分のポケットマネーにする為)、
新しく建設している孤児院の建設スタッフの日払い給料が足りないから
お金くれって言われたり。

(僕は新しい孤児院を建設していることも知らなかったし、ただのボランティア)

 

またとある国では、
子どもたちに支援された物資が
大人によって売られ得たお金が大人たちの懐に。

 

そんな現場を見ていると、だんだんとこんな気持ちになります。

 

現場も見ないで支援する人ってなんなん?

 

ただ現地の大人を甘やかせて、余計にダメにしてるだけやん。

 

でもみんなが、みんな現場に行けるわけではないし現場に行くだけが国際協力ではない。

 

本当に善意で支援や寄付してる方達もたくさんいるはずです。

 

そうなってくると今度は現地で活動してる側の問題ですよね。

 

『こんなかわいそうなんです』、『こんな貧困なんです』と
かわいそうアピールするだけではなく、
イイところも悪いところもリアルに発信していく必要があります。

 

綺麗ごとを言うつもりはありません。

 

お金はめちゃめちゃ大事です。

 

でもお金さえあれば何でも解決できるわけではありません。

 

これまでの経験を踏まえて、
支援を受け取らないという判断をすることも大事になってくるなと感じました。

 

こういった活動をしていると様々な方々に出会い、
いろんな意見を聞くのですが、
僕は別に人の意見や価値観を否定する気はありません。

 

人にはきっとそれぞれの正義があるから。

 

何が正しいかという答えなんてない。

 

僕がこのブログを始める時に、
このブログの運営者に言われたことがあります。

 

それは、

 

『そういう活動する人って、周りを巻き込める人じゃないと向いてないと思うんですよね』

 

僕もそう思っていました。

 

でも僕は残念ながら周りを巻き込んで、
やろうぜ!ついてこい!みたいなタイプではありません(笑)

 

まぁこんな自分でも
別にいいやーと思っていたのですが、
それが確信に変わっていきました。

 

例えば今行っているセネガルの学校建設。

 

最初はクラウドファンディングをする気だったし、それ以外にもお金を集めようとしていました。

 

言い方悪いですが、とりあえずお金集まれば何でもいいやと思っていました(笑)

 

様々な方からお金を寄付して頂けるお話もありました。

 

それは単純に僕の事を信用し、応援して下さる方もいれば、
寄付したという社会的なイメージアップ目当ての方もいます。

 

理由は何でもいいですし、
僕の事を単純に応援して下さる方々には
僕がその想いを裏切らないように誠意を持って活動していこうと気が引き締まるのですが、
後者に関しては、自分のことを優先に考えられてる場合が多いので
お金を落としただけで満足してしまうケースが多いと感じました。

 

するとどうなるのか…

 

どんなプロジェクトだったとしてもお金だけ手に入った現地はどうなるでしょうか?

 

本当に問題改善の為に使うでしょうか?

 

身になるものではなく
一時的なお金として消えてしまうケースだって考えられます。

 

僕のケースでいうと、お金さえあれば学校は建つ。

 

でも、

  • 現地は本当に学校が必要なのか?
  • 青空教室などでもいいけどなぜ学校なのか?
  • 政府との連携
  • どうのように継続していくか
  • 先生はどうするか
  • なぜ幼児教育が必要なのか?
  • 一部だけではなく全ての子どもたちに教育の機会をつくるにはどうしたらいいか

などなど考えることはたくさんあります。

 

そもそも、
プライベートスクールでも良かったですが、
なぜセネガル政府に申請をして公立の学校にしたかというと、
現地主体となって取り組んでいってほしかったから。

↑プロジェクトの共有を行った市の関係者の皆様と。
全力でバックアップする、他の村も視察に行ってほしいと言われました。

 

冷たいかもしれませんが、
僕が先頭に立って解決するんじゃなくて
セネガル人が解決していこう。

 

僕が今回あえて支援を受け取らなかったのは、一言でいうなら

 

【もっと時間をかけたかったから】

 

ただお金を与えるのではなく、現地も僕も一緒になって動く、考える。

 

だから建設スタッフは全て村人。

 

本当に欲しいものは、そんなに簡単には手に入らない。

 

でも本当に欲しかったら全力で取りにいく。
そんな感覚を共有する時間が必要だと思ったんです。

 

その方が、村の方々も学校を大事にしていってくれると思いました。

 

この学校はセネガル政府公認の公立の学校になります。

 

だから僕がお金をだしても、
それは僕の学校ではなくセネガルの学校になります。

でもそんなことはどうでもいいんです。

 

別に僕の学校が欲しかったわけではないから。

 

何かに支援するということは、
支援した=その人にも責任が生じるということ。

 

全てがプラスに働く訳ではないということ。

 

そういったことを考える必要性があるのかなと感じます。

 

ここから子どもたちの未来へと【バオバブキンダーガーデン】

キニアブール村に初めて出来る幼稚園の名前はバオバブキンダーガーデン。

 

僕はもうこの名前しかないと決めていました。

 

最初は現地パートナーに
『ナオキキンダーガーデン』にしようと
言われましたが、絶対にいやだと断りました(笑)

 

バオバブはセネガルのシンボルでもあり、
村の近くにもそこらじゅうにあり現地に根付いている。

この学校もこれから、
何年、何十年、何百年と村の人に愛され根付いていきますように。

そういえば昔、現地語もフランス語も英語も話せない変な日本人がこの村に学校を作ったな。

僕のことを直接知る現地人がいなくなっても、続いていきますように。

 

そして、僕をセネガルで励ましてくれたバオバブ。

強くたくましく、人々に貢献できる人に育ってほしい。

 

人の痛みに寄り添える人になってほしい。

 

でも元気で幸せに日々を過ごしてくれたらそれでいい。

 

そんな想いを込めて。
 

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